中森明夫
最終学歴は明治大学附属中野高等学校中退と自称するも、実は1979年大正大学文学部哲学科中国学コース入学、1983年中退します。
1982年、エンドウユイチたちと共に『東京おとなクラブ』を創刊します。
1983年6月から『漫画ブリッコ』誌上に連載した「おたくの研究」の中で、ガンダムファンやカリオストロファンなどの「異様さ」をあげつらい、「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」を「おたく」と命名します。
この記事が読者と編集長(大塚英志)から反撥を受け、「おたくの―」は1983年12月号を最後に連載中止に追い込まれました。
新しい世代のサブカルチャーの担い手として注目を浴び、田口賢司および野々村文宏と共に”新人類3人組”と呼ばれました。
1989年、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件で宮﨑勤が逮捕されおたくという概念がクローズアップされる中、大塚と再会した。
